1914年の6月28日に起こったサライエボ事件を切っ掛けとして始まった第1次大戦は1918年11月のドイツの休戦条約調印によって終結したが、この対戦での死者は900〜1000万人といわれている。ヨーロッパを新兵器で瓦礫と化したこの時期、1919年にドイツのワイマールにワルター・グロピウスによってバウハウス(BAUHAUS)が創立された。
BAUHAUSは建築運動でもあり、芸術運動でもあった。大戦後の新たな時代の生活運動でもあった。多くの建築家、芸術家が講師陣に集まった。パウル・クレー、モンドリアン、モホリ・ナギ、カンヂンスキー等の芸術家の成果は日本においても何度かの展覧会で知られている。しかし、BAUHAUSの運動自体の意義は忘れ去られているように思う。一つの理由としてはナチスの政権とともにデッソー、ベルリンへと移転を重ねて後に1933年には学校を閉されてしまい、多くの講師陣はアメリカへと亡命せざるを得なかったという活動の挫折がある。1933年9月にはナチスはポーランドを侵攻し、英仏が宣戦した。1941年12月8日には日本のハワイ真珠湾攻撃によって日米間に太平洋戦争がはじまった。ヨーロッパとアジアにまたがって戦われた結果、1945年5月7日にドイツが無条件降伏し、日本は同年8月15日に無条件降伏した。この戦争での兵士、市民の死者は5000万人を超えるといわれている。そして、現在2009年までの戦後64年間は世界中に戦争が起こり、日本は戦需成金となって復興し、世界のトップにおどりでた。この歴史の流れのなかで建築界と建築家の生き様が景気に翻弄されて様々な変貌を遂げてきた。足を止めて眺める余裕もなく、前のめりになって生きてきたというのが私の実感である。もう一度BAUHAUSの成さんとした意味や、現在の建築文化の有り様を私の身の廻りの人達とともにみつめ直す場所が必要だと考えるようになった。
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