東海地区郵政建築OB会に参加して。
平成24年(2012年)9月8日(土)に名古屋千種にある「名古屋メルパルク」にて東海地区のOB会に6〜7年ぶりに参加した。昭和59年〜60年に東海郵政局建築部長として勤務して以来26年の歳月が過ぎたが、平成4年には退官したのでそのときからは20年
が過ぎ、時の過ぎるのは早い。ひさしぶりに再会した方も多いがお会いできなかったかたも多い。この20年の間に郵政省は郵政事業庁から郵政公社となり、2007年には民営化され、日本郵政株式会社と分社化により4社体制となった。2010年には旧建築部は
不動産部門施設部として発足した。かつての地方郵政局建築部10カ所は「施設センター
7カ所」となった。東海郵政局建築部は現在では「中部施設センター」である。
民営化以降の施設部の変化は大きく、特に東京中央局、大阪中央局の再開発決定については戦前の逓信省が残した近代建築の輝かしい成果として、これを文化財に匹敵する建築文化遺産として残す事を多くの歴史学者、地元の有識者からの保存陳情が起こった。東京中央局にあっては国会での議論となり、鳩山邦夫総務大臣の提案がうけいれられて、保存範囲の拡大という成果を得た。大阪中央局も大型の再開発計画が浮上したが、その後の事業の実現性の検証により中断となった。ここで大阪中央局の保存問題に猶予期間が生まれたと安心した関係者もいたかもしれないが、その猶予も待たずに解体工事が発注された。
新たな計画も発表されていないにも関わらずなぜ解体を急いだのであろうか。明らかに保存運動が盛り上がらない内に話題の種を抹殺してしまうという経営判断であろう。
企業の社会的責任という事が話題になっている現在、その責任の中に歴史的文化的遺産存続への企業努力が要求されるのは当然である。企業は直接の企業目的意外には眼中にないと言う程この社会の文化的側面に無関係でビジネスを行っているのだろうか。企業の側からの目覚めが必要な時代であろう。しかし、私見によればこの問題を企業の自主的判断だけに追わせるのは無理な事と思う。文化財保護法が近代建築保存に対して無関心なるが上の法制上の不備による結果が招いている現象であると考える。新たな法制化なくして今後の歴史的建築遺産の保存はありえないと考える。
郵政OB会の閉会後に飛田センター長とかつて設計課長経験のある観音さんと「名古屋中央局」の見学にいった。既に窓口以外は使用されていない局舎であり、近々新たな開発計画のもとに再開発されると聞いている。戦後60年の節目に民営化された以降、郵政事業の歴史的シンボルであった「東京中央郵便局、大阪中央郵便局、名古屋中央郵便局等」の大型の近代建築が取り壊され、姿を変えていく事には大きな喪失感を抱いてしまう。百年に満たない建築がスクラップされていく日本の建築の有り様には建築文化に対する誇りや自身が持てない国民性の現れであろうか。いつも直近の新しさには目を奪われるが歴史的時間を経て生き残っているものへの愛惜観を持てないのはなぜだろうか。そのような国民が
ヨーロッパの古い建築や街並みを高い旅費を払って見に行くのはなぜだろうか。逆に世界の他国の人たちが日本に観光旅行する動機はなだろうか。日本固有の文化を保持している
京都、奈良、飛騨高山、日光、東北の山村、自然の豊かさそして浅草、千駄木に代表される大都市における過去と現在の渾然とした都市文化現象ではなかろうか。
日本人は飛鳥、奈良、平安、鎌倉、江戸の各時代が残したものへの誇りと同じく、もっと明治以降の近代遺産に対しても自身と誇りを持ってほしいと思う。
近年の地球温暖化への警告、地球資源の再利用、自然エネルギーの再生利用が叫ばれている今日では膨大な資源とエネルギーと労力によって生まれ、未だ十分に活用期間が残されている建築物をスクラップにしてしまうことへの反省が無ければならないと思う。
日本人が長い歴史の中で培ってきた、自然への畏敬、資源への感謝、労働成果への尊敬
こそが「もったいない精神」の底に流れている姿であり、世界の人たちから目標とされる心構えであろうと思う。
「名古屋中央郵便局の現状と名古屋駅前周辺」
2012年9月13日木曜日
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