2012年9月13日木曜日

名古屋ボストン美術館を見て。

名古屋ボストン美術館(日本美術の至宝)を見て。

平成24年9月9日(日)の朝から「名古屋ボストン美術館」に行くと既に10時開館前
に多くの行列ができていた。東京上野での長期の展示を見逃してしまった為に、名古屋での「郵政建築OB会」に前日参加したついでにこの機会を得る事ができた。
TVで既に紹介されていた「ボストン美術館」が多くの日本の美術を所有していることには
興味をもっていたが、今回やっとその真実が解明された。明治維新のときの政府の神仏分離令が廃仏毀釈運動となって、日本中の多くの仏教美術が破壊されていた時にフェノロサ、ビゴー、岡倉天心がそれらを安価に大量に買い取った事から「ボストン美術館」には10万点の日本美術が保有されることになったことを知った。
彼らが集中的に買い漁ったことにより多くの日本美術が市場に分散されずに済み、行き届いた管理のもとで保存、修復、展示が行われてきた功績は大きい。しかし、戦後の日本人は長い間その事実に関心をもたず、作品の価値を知る機会も無く今日に至った。

世界に植民地を持ち、海外遠征をしてきたヨーロッパ先進国が世界中から文化遺産を自国に持ち帰った事は「英国大英博物館」が所有する世界中の文化遺産が物語っている。
今回その事とは別に、明治維新後の新政府が実施した「神仏分離令」により数年にわたる仏教弾圧と仏教文化の破壊が日本中を駆け巡ったことにたいする驚きである。この事件が無ければボストン美術館が10万点もの日本美術を獲得する事はできなかったに違いない。この中には仏教弾圧による以外に武士階級が没落したことにより手放された日本美術品が多く含まれている。明治維新が革命であったのか、緩やかな体制変革であったのかについての判断が色々あるにしても、政治体制が変わる事によって文化遺産が破壊される歴史を改めて認識することになった。第二次大戦後の日本の貴族制の廃止、皇族の縮小、財閥の解体による富裕階級の没落等により彼らの所有する財産が市場に流れ、これらを占領軍とともに上陸してきた文化財買収の目的をもった人々が多くの日本の文化遺産を持ち帰ったであろう。イラク戦争、アフガン戦争でも国立博物館が爆撃されて収蔵品が消滅したり、略奪されたものが多いと聞く。最も衝撃的な事件はアフガニスタンの壮大な石仏がゲリラによって爆破されてしまった事である。人間の歴史上では世界中で富の略奪、文化の破壊が繰り返されてきた。このボストン美術館を見ながらこんな事が頭から離れなかった。今の日本郵政が近代建築の守護者から破壊者になろうとしている原動力とはなんだろうか。不動産という土地が生み出すであろうと予想される莫大な富への幻想なのか。確かに日本の主要駅前の特等地を保有する日本郵政にとって国有財産という規制が外された事によっていかなる経営資源も自由に処分する事が可能になった。本来の郵政事業の赤字を不動産事業の利益に転嫁して経営危機を乗り越えようとしているのか。これも廃仏毀釈令が仏教美術を破壊して新たな国家神道に乗り換えができると狂気したことと通じるものを感じる。過去の遺産をすべて滅却しなければ新たな価値を生み出せないのか。
このような事が全国で実行されることにより、後世において平成の「文化破壊運動」と
評価されることを憂う。




名古屋ボストン美術館(金山駅前)
















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