2009年6月17日水曜日

建築は誰のものか。東京駅舎復元工事によせて。









前回の投稿で取り上げた東京中央郵便局の解体工事の横では東京駅丸の内駅舎の解体復元工事が続行中である。駅舎が竣工したのは大正3年(1914年)、設計は辰野金吾(辰野葛西事務所)である。辰野は辰野ルネッサンス様式と称された洋風建築を明治大正を通じて多くの建築を残した。設計に着手したのは明治36年(1903年)、基礎工事に着手したのは明治41年(1908年)であるから、設計期間5年、工事期間6年という大工事であった。現在我々が見ている駅舎は第二次大戦で戦災を受けて屋根が焼失し、火災の熱でレンガ造鉄骨補強の構造体は3階部分において著しく損傷したため、3階を撤去して2階建てとして急遽補修したものである。多くの人は当初から駅舎は2階建てと思い込んでいると思われるが、完成当初は3階建てでり、ドーム屋根も現在のような直線型ではなく、ほうずき型の曲線形のドーム屋根であった。当時の完成写真や色付きの立面図をみるとその壮大さに驚く。戦後10年以内に応急処理の駅舎を本格的に改築する計画もあったが、60年以上の経過を経て今回2007年に丸の内駅舎保存・復元工事がされることになった。丸の内側のみならず、八重洲側の再開発をも含めた東京駅舎周辺開発が現在進行中である。丸の内駅舎がここにたどり着く前には、中央口のみを残して残りは解体し、ホテルを含む超高層建築計画が検討された時期もあった。その後バブル経済の崩壊もあり、古い建物を大事に継承していく社会的機運も生まれて、保存、復元の決定に決まったことを市民、有識者は心から喜んでいることと思われます。
その反面。隣りの東京中央郵便局は昭和初期に完成した世界の建築家、有識者も称賛する昭和の近代的な名建築と評価されてきたにも拘わらず、国民的な話題になる前に解体される事が決定してしまった。現地に立つと丸の内駅舎の工事用仮囲いには、駅舎の歴史的経過と将来像について懇切丁寧な解説看板が数十メートルに渡って掲示されているが、東京中央郵便局の方はなんの説明もなく、完全目隠し囲いによって人の目に触れない内に解体してしまおうという意図が歴然としている。長い歴史を経て社会の中に生き続けた建築は官庁のものであれ、民間のもであれ国民の共感する公的な存在であることを我々はもっと主張しなければ成らないと思う。

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