2009年8月23日日曜日

歴史的建築を残す意味について

大阪中央郵便局
大阪中央郵便局(1939年、昭和14年、逓信省営繕課、吉田鉄郎設計)
■歴史的建築を残す意味について
1)日本の建築の歴史性
歴史的建築とは何を示すのかをまず問わねばならない。日本人の一般的な歴史観からすれば、江戸末期までは鎖国政策によって、純粋な日本の固有文化として他国からの影響を殆ど受けずに歴史が形成されてきたという認識が存在している。そのゆえにこの時代の日本の文化財は無条件に永久に存続していかなければならないと考えている。しかし、学問的、考古学的な研究成果からは大和朝廷という国家組織そのものが、奈良時代初期までの中国大陸に置ける唐文化との交流をとおして多くの文化を導入して形成されたものである。朝鮮半島における三韓時代には唐と新羅の連合軍と百済との戦いに巻き込まれて、百済を応援して派兵した結果、白村江の戦いに敗れ百済が滅亡した為に、多くの百済からの亡命者を大和朝廷は受け入れた。その後は高句麗が滅亡し、朝鮮半島は新羅によって統一されることになった。其の結果、百済人、高句麗人という高度な文化と技術をもった渡来人により、大和朝廷の骨格が短時間に日本に定着、実現することができた。この時期こそ日本の国際交流の始まりとなり、遣唐使を大陸に派遣して唐から国家の政治、行政等の制度と都市計画や大陸の先端技術を導入した画期的な時代変革の始まりとなった。日本の建造物文化財が明日香、奈良、平安、室町、鎌倉時代までの物に集中している理由である。しかし、その多くは大陸文化の模倣と技術導入によるものであって、日本人が独自の美意識によって洗練させたにしても日本の独占的な著作権を主張する事は憚るのであるが、日本における歴史的建築物はこの時代に生み出されたものであり、重要文化財として国民の文化遺産となっている。
2)鎖国政策による独自文化の形成と文明の停滞
江戸時代には幕府の統治政策により、橋の建設から城の建設に至るまでが禁止された為に国土の文明的なストックは何も蓄積されずに明治維新を迎えたことになる。鎖国政策により、文明的には停滞することになったが、却って独自の文化を醸成することにはなった。江戸時代の250年間の鎖国により、建築文化面でみると、支配階級である幕府、大名は明日香、奈良時代に大陸から獲得した遺産を維持する以上の発展はなかった。替わりに新興の商人階級が江戸、大阪、京都のような消費経済の発展した都市の中で町屋という独自な居住区を造り、町屋文化を形成した。地方の富農豪族は地方性を発揮した民家建築をつくりだすことになった。
3)奈良時代を上回る明治以降の西洋文化、文明の受容
明治維新後の西洋の文化、文明の模倣、技術導入は明日香、奈良時代を上回る勢いとなった。明日香、奈良時代から1000年の時間をかけて日本化した時間から見ると、明治以来の洋化の歴史は現在までに130年しか経ていないのである。この130年間の洋風文明はあまりにも日本化になじむ時間のないままに太平洋戦争に敗れ、無条件降伏した。全国を焦土と化した戦災によってこの時代の多くの歴史的建築物が損失したが、それでも戦災を受けなかった地方にはまだ多くの歴史的建築が残されている。その後の高度経済成長による地価高騰の結果、残された歴史的建築も消えていく運命となった。貴重な明治の歴史的建築を少しでも残すために生まれたのが明治村であった。例えどんな歴史経過によってであれ、他国の文明、文化を模倣し、洗練させ、定着させたものはその国の国民の成果であり、歴史の証人であり、記憶であり、生きてきた足跡であって、それらを礎として、自らを省みる鏡として、時間をかけて未来に向かって生きていくのであって、その生き証人こそ歴史的建築であると考える。
4)大正・昭和時代の建築の歴史的意味
今話題になっている東京中央郵便局、大阪中央郵便局は、竣工以来まだ100年に満たない昭和初期の歴史的建築である。昭和初期における日本の建築家が日本にもその文化的伝統に相応しい誇りある近代建築を創造したいと格闘して生みだした歴史的建築である。設計者である建築家吉田鉄郎にとってはこの建築が最終到達点に達した作品とは思ってはいなかったであろう。日本の近代建築に対して様々に悩んだ末の通過点に違いない。だからこそ建築家が創造力の極点において日本の国民に提示しようとした建築家の心の中を理解したいと思う。日本人の多くが、明治の模倣に近い洋風様式建築ならば保存の価値はあると考えるのは、ヨーロッパの様式建築の美しさを理解できるからであるが、昭和初期においてはヨーロッパにおいても最早新たな時代に相応しい近代建築を求める社会が到来していた。日本においても建築家が近代社会に相応しい建築を創造しようとしてきた結果、建設されたのが東京と大阪の中央郵便局であった。明治建築としての東京駅舎の復元工事が行われている目の前に、昭和の歴史的建築が存在し続けることこそ、江戸から東京への歴史的重層性や文化の多様性に満ちた味わいの深い東京の玄関となるのではないか。その意味では丸の内地区は日本の象徴的歴史を刻印する歴史的特別地区にしてこそ、世界の人々を引きつけ、世界に尊敬される都市となるであろう。江戸城の歴史を保存し続けている皇居を目前とする丸の内地区は、歴史的特別区にこそ相応しい地区であることを理解する必要があるのではないか。


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