札幌の生活にも慣れ、北国の春を迎えた頃には何とか生き延びた余裕もでき、夏には義母を迎えて、道内一周の旅をすることもできた。和歌子さんは戦後直ぐに夫を亡くして、章子を横浜の夫の実家に預け、長男を静岡の自分の郷里で育てることになった。郷里の実家の支援を受けながらも、自立するために婦人洋服と婦人帽子のデザイナーとして働いた。生来の美的な感性に恵まれて、絵を描くことにも生きがいを見いだして、地元の絵画同好会で水彩画を発表会に出展していた。彼女の水彩画は作品が大きく、独特の力強い色彩感に富んだ作風であった。今彼女の多くの作品がわが家に残されている。其の作品をデジカメに写したもの数点をここに掲載しておきたいと思う。
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