2010年6月29日火曜日

當眞健夫君の思い出


上野精養軒でのパーティー(H22.5.16)

當眞健夫君が6月11日(平成22年)の夜8時30分に永眠されました。彼は昭和35年(1960年)に私と共に東京工業大学に入学しました。この年は60年安保闘争という日本の戦後の歴史に残る政治的波乱の年でした。四月に入学した後、大学内は安保反対闘争を先導する全学連に共感する学友会の幹部たちによる各教室での呼びかけが連日おこなわれ、講義の行われない教室でのデモ参加の呼びかけが沸騰していました。私は何の予備知識もないにも係わらず、連日の学内の熱気に巻き込まれて、いつの間にか学友会の執行委員に推薦されてしまいました。
学内では何度かの全学討論会が講堂にて行われ、結果として6月15日の国会前での安保反対集会に多くの学生が参加することになりました。この時、国会突入という事態となり、この時にデモ隊と機動隊との衝突のなかでなだれ込むようにして折り重なったデモ隊のなかで樺美智子さんという東大の女学生が死亡しました。その後連日の如くに全国の学生、労働者の10万人のデモ隊が国会を取り巻き安保反対を叫んで集合しました。しかし、19日の夜、国会にて日米安全保障条約は可決されました。その情報が流れた途端の国会前でのデモ隊の失意の沈黙の姿は今でも思い出されます。国会正門前の信号灯が虚しく規則的に赤い点滅を繰り返している情景が敗北の印のように思えました。
■再び大学での生活が復帰したにも係わらず、私たち学生の沈欝な気分と虚脱感は学生一人一人のなかに虚しい敗北感と係わった運動への自己認識の甘さ,不十分さへの後悔という傷を残した様に思います。そんな時に私は演劇部に入部を誘われ、その中で當眞健夫君をはじめ多くの学友と交わることになりました。政治闘争に敗北した空虚な脱力感にある中での演劇部の活動は大変新鮮なものでした。當眞君は化学工学科に所属していましたが、次第に演劇活動のプロとして自覚するようになり大学の授業を放棄して小演劇集団に所属してプロの道に入る事になりました。彼の所属した演劇集団「変身」は代々木に稽古場と劇場をもって、毎月のように新たな作品を上演するというエネルギッシュな劇団でした。そのような演劇活動が3年間続きましたが、突然劇団解散という事態となりフアンとして上演にも参加してきた人間としては大変な驚きでした。その結果、多くの劇団員が離散することになりました。
■當眞君はそんな中で大阪茨木市の中学時代の同級生である中川啓子さんとめぐり逢い、電撃的な結婚をするこになりました。啓子さんは京都工芸繊維大学のデザイン部門の卒業性として大手企業に係わる仕事をしていました。定職のない當眞君は結婚後は啓子さんの父上の経営する住宅系の新聞社の東京支社員として働き、長女桜子さんも生まれて東京中野に住んでしばらくは安定した生活を営んでいました。しかし、義父の突然の逝去により新聞社も倒産してしまいました。このあたりから彼の運の下降線が始まったのか、啓子さんとも離婚することになり、様々な職業を転々としながらも長女桜子さんの成長を楽しみにして生きてきたように思えます。その桜子さんは歯科大学を卒業して歯科医となり、同級生と結婚し今は二人の娘の母として岡山市内で家庭を支えています。當眞君にとっても長女ファミリーの幸せを見ながら老後を過ごすという予感をもっていたでしょう。
■そんな中で、彼は昨年の平成21年8月食道部の異常を自覚して受診した結果、食道癌と診断され急遽虎ノ門病院に入院して治療を受けることになりました。入院直後、脊髄への転移の為か下半身麻痺がおこり、検討の結果では手術は不可能という宣告を受けました。その後の放射線治療、抗がん剤の服用等が続きましたが下半身麻痺のせいか苦痛を余り感ぜずに元気な姿で病院生活を続けていましたが、12月にはこれ以上の治療は望めないということで緩和病棟をもつ病院への転院を進められ、転院することになりました。
■緩和病棟では一切のがん治療は施さないという前提で毎日の生活が始まりました。抗がん剤から解放されて、本人は健常者並の元気さを取り戻し、車いすでの外出も可能となり外での食事もできるようになりました。本人の希望により元気なうちに友人達とのお別れパーティーを上野精養軒で開催することになりました。その後直ぐに名古屋に住む96才の老母に会いにいき、思い残す事がなくなったせいか急速に衰弱し、6月11日に長女桜子家族、弟家族に見取られて息を引き取りました。
■私は五十年間の友人として最後までそばに立ち合うことになりました。死の数日前、生まれ変わったら何になりたいかと聞くと、建築家になりたかったという言葉を聞き驚きました。今ここに當眞君の追悼記を書いているのは彼の最後の一言に感じるものを抱き、何か書かざるを得なかったのです。彼の事績をここで紹介することはむずかしいので、何枚かの写真を掲載することで彼の在りし日の姿を偲びたいと思います。大学2年頃の姿
演劇部公演に出演した時演劇集団「変身」の仲間達


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