2011年2月13日日曜日

日比谷電電ビル見学会













1月10日(木)にNPO法人『環境デザインアソシエイツ」主催による「日比谷電電ビル見学会」に参加しました。
基礎的資料をウイキペディアの解説を参照して話を進めたいと思います。
■施設概要
旧名称日比谷電電ビル
用途オフィスビル
設計者電電施設局建築部 / 國方秀男
構造設計者日本総合建築事務所
施工大林組
構造形式SRC造
敷地面積13,041.13m²
建築面積5,957.36m²
延床面積79,753.72m²
階数地上9階、地下4階、ペントハウス2階
竣工1961年3月
所在地東京都千代田区内幸町1-1

日本電信電話公社(電電公社)は、それまで赤坂に置いていた本社をビル完成に伴い移転。当初は、東芝も本社機能を数寄屋橋から移転、他にアラビア石油などが新たに入居した。土地は電電公社所有、建物は財団法人電気通信共済会と公共建物株式会社が共同所有となった。電電公社本社ではなく、その外郭団体が主導して建設し完成後も賃貸収入を得るかたちとなったことは、当時の国会でも問題視された。同様に、公共企業体特殊法人の本体ではなくその外郭団体を活用して、法律予算の制約を逃れ、時には利益の付け替えまでも行なう手法はのちに、日本道路公団財団法人道路施設協会などとの関係や、日本放送協会(NHK)NHKの関連団体との関係においても生かされていくことになる。1973年7月、NHK渋谷区神南NHK放送センターへ移転を完了し、内幸町の東京放送会館は廃止となった。以降は長きに渡って、「内幸町」は、電電公社本社の代名詞としても親しまれた。1985年の電電公社から日本電信電話株式会社(旧NTT)への民営化に際しても、引き続き当所がNTT本社となった。1995年6月NTT新宿本社ビルが竣工し、1995年9月にNTT本社は新宿へ移転。1999年のNTT分割再編実施に伴い、1999年5月28日エヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社(NTTコム)が設立され、1999年7月1日の営業開始以来現在まで、NTTコムが本社を置いている。2002年株式会社東芝日比谷分室が退去し、ビルは関連会社と郵便局を除き、NTTコムの単独使用となった。
■上記の資料解説を読んでも建築的な解説や批評としては不十分でしょう。
建築の関係者や、一般市民が建築見学会に参加する時にどのように建物をみて楽しみ、納得する解説をもてるのかと言うことは、建築を社会的な有用かつ文化的な資産として市民の理解をうる重要な問題であると思います。
■建築見学会に参加する時の動機はまずその建築への興味があり、なおその建築を体験してより深く理解したいという市民感覚を大事にしたいと思います。あらゆる芸術的な体験は自らが積極的に体験することから始まります。
音楽会で音楽を聴く、美術館でアートを鑑賞することと建築を体験することは同じだと考えます。まず自らの身体的な感覚を通して自らの感性を通して対象と対峙することから始まります。更に学芸員の解説や批評家の鑑賞眼を通して理解を深めていくことは対象をより身近に感じることになるでしょう。
■全てのアートは対象と鑑賞者の直接的な対話だけで成り立つという見方がありますが、言葉というものを通してより深く理解できるように成るのはアートが持っている歴史的背景、作家の思想的背景、アートの技術的背景が解説を通して理解が深まる事でしょう。人間の文化的な遺産を大事に守っていこうとする国民と目先の経済的資産価値だけで廃棄することに躊躇しない国民との差は文化的な遺産にたいする理解力の差ではないかと思います。
その意味で適切な解説者と同行する「建築の見学会」の果たす意味は大きいと考えますので、今後の見学会に期待したいと思います。
■見学会の感想
1)この建物は旧電電公社建築部に所属していた国方秀男氏の作品でありますが、同じ逓信建築の流れを共有する旧郵政省建築部の人間として大変興味を持っていました。既に完成後五十年が過ぎている建築ですが、これまで通りすがりに外観を眺めるだけで内部にまで見学する機会がありませんでした。日比谷通りに面し、隣りは明治時代の社交場としての鹿鳴館が建っていた敷地であり、道路向かいには1929年(昭和4年)に建設された日比谷公会堂が昔の姿のままに現存しています。明治23年に陸軍省用地であった広大な土地が三菱に買収されてから戦前、戦後を通して日本の金融センター、企業本社ビル用地として数々の名建築がこの地域に生まれました。この地域の建築の建て方は前面通りに外壁線を合わせ、建物高を31M(100尺)というスカイラインを統一するというヨーロッパ型のまちづくりによって形成されました。その統一感と秩序感を維持した景観は世界的に見ても美しい街として評価されてきました。しかし、戦後の高度成長時代になってからは土地の所有者は歴史的な景観よりも土地の持っている経済的効果を優先するようになり、スカイラインを法制上も解除して高層建築を競って建てる時代となり今日に至っています。日比谷電電ビルの完成はは昭和36年ですが、かろうじて31mのスカイラインを守って建設された貴重な建築です。建築のデザインについても逓信建築の建築家が昭和モダニズム時代に格闘して作り上げた日本的なアイデンティティーを持った建築を継承してデザインしたものと思われます。未だに陳腐さのない、格調の高い建築として評価したいと思います。国方秀男という建築家を再評価し、彼の建築美学を研究する機会を与えられた見学会でした。
2)日比谷、外堀通りの景観。
現在の写真を見ても分るように外堀通り沿いの景観は見事な統一感をもった美しいものです。
しかしながらこの建物群の中にも文化財的な価値をもった建築がありますが、それでさえ近い内に建て替えられるということを耳にします。日本橋から丸の内、日比谷に至る地域はヨーロッパであったら当然歴史的保全地域として大きな規制があっても不思議ではない地域でしょう。日本人にとってまちづくりは経済効果でしか評価されないとすれば、全ての都市は歴史的重層感のない、薄っぺらで文化的な高貴さのない街となってしまうでしょう。
堀沿い景観帝国劇場日本生命ホール
東京市政会館
日比谷公会堂

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